のぶりんの ファイナルレポート
のぶりんです。 今際の詳細状況を報告します。 7時間30経過あたりで左フロントハブボルト破損。
PIT-INして来て修理後、次のドライバーが私でした。 信頼おける方々の迅速な修理で、PIT-OUT後、3周ほど様子見。
ホームストレートを走る のぶりん 折れたボルトの様子を見ながら 少しずつ ペースアップ
1周目はそれなりにスローで、 2・3周目はレーシングスピードにあげました。
2周目あたりの1コーナーで、ちょっと「?」的な音が 左フロントから出ていましたが、次の週では消えていました。
「修理箇所については大丈夫そう」という感触でしたので 左フロントには注意を保ちつつ、気持ちを「レースモード」
に切り替えました。
「今日のこの状況で限界はどれくらい?」という手探りの LAPの中で、前4人8時間のドライバーのコメントを
「なるほどなるほど」と納得しながら走っておりました。 最終コーナー立ち上がりからの登りではそういう部分で
ちょっと無理させた感もありました。
異常が感じられたのはすり鉢コーナーの出口からの登りで 「チリチリ」というエンジン回転と同期する異音。
最初は小さい音で、電気的な不具合かな?と思っていました。 「がんばらなくていいから最後まで車持たせて」と改魔神監督の無線。
不安は拭い去れないものの、とりあえず様子を見て走ります。 最終コーナー登りでPOWERダウン。
これはもう「あと1時間もあんのか! 最後まで???」 と思うものの「チリチリ」→「チチチチ」に変化。
煙を吐きながら 懸命にホームストレートを走る のぶりん シルビアも 最後の力を振り絞っていた
そのうち「カカカカ」に変化。 最終コーナーからの登りでは回転押さえて、
もう登るのがせいいっぱいの状況。
コースサイドに 停車 競技終了・・・・・・・長い 8時間が いま 終わりを告げた・・・
次はもうPIT-INだなと、PITに目をやろうと思った瞬間に! 車内からすべての音が消えました。 ちょうど我々の1番PITあたりでした・・・ ご主人さまの目の前まで走ってきて息絶える老犬のような健気さに 「酷使してゴメン」という反省の思いが募ります。
エンジンルームを除きこむ のぶりん そして サーキットスタッフ達・・・・・・・
牽引で ピットに戻る シルビア
以上 のぶりんレポートでした
と 言うわけで アゼストレーシングチーム 久々の 5回目のリタイヤとなりました
レースを終えて ともかく ほっとする 3人のドライバー
左から のぶりん よっすぃ〜 バンジー
しかし そうなると 諦めは早いのが 我々のとりえ
楽しそうに 話す メンバー
一気に お片付けモードに スイッチ オン!!
なれた手つきで とっとと 片づけを終えると やっと ひとごこち・・・
その間も 場内アナウンスで 次々と 上位を走るマシンが 脱落していく様が 伝えられていた
今までは 自分たちの周りのマシンが 次々と コースを去っていき・・・・・
最後まで 我々が 残っていたのだ
今回は 我々に 消えていく順番が 廻って来ただけなのだ
次はまた 誰か よそのチームが 壊れる番さ・・・ きっと ね
と 皆 パドックで コーヒーで 乾杯!!!
ADDZEST Silvia Model 2003
1999年3月1日 我々の元にやって来て以来
何度となく 我々と一緒に サーキットを走ったシルビアは
2001年9月には ナンバー付きクラスに参戦するため
何と 前代未聞 乗車定員1名の車輌として 正式な 構造変更登録をおこない
正式な一名乗車の 競技専用車輌として ナンバーを取得した
以後 ナンバー付きのクラスで 我々 レーシングチーム設立以来7年にして 始めての 入賞を果たし
それから3レース 連続の入賞を果たした
今回は その4回目 我々も 当然 それなりの期待はしていた
しかし それ以上に 至るところの 劣化が目立ち始めていた
毎回 レースのあとには 必ずと言って良いほどの 大トラブル
多額の 修理費用・・・・・
もう 限界が来ていたのかもしれない
シルビアは それでも 走りつづけてくれた
だが 今回は・・・・・
もう 最後まで 走りきる力は 残されていなかったのだろう・・・
力尽きた ADDZEST Silvia Model 2003
でも 今度は 魔界転生 します
数多くの部品を引き継いで 2004年 蘇ります
ADDZEST Silvia
Model 2004 として!!!!!