当時 サーキットを走るなんて概念は 全く無かった。
ただ 車に魅せられた奴等が集まって わいわいやっていた。
オイル交換だとか ステレオの取り付けだとか・・・。
そのうち やる内容が だんだんエスカレートしてきて
マフラー交換 ブレーキパッド交換 サス交換に なってきた。
そして 交換すれば 結果としてどうなったのかを確認したくなるもので
皆 首都高 正丸峠 何処ぞの工業団地 と
それぞれの走りのステージに車を持ち込んでは その変化を確認し
報告しあい 又 改造に励んでいた。
当時は ショックを変えただけでも 車検に通らない時代で
マフラーが JASMAの登場でやっと市民権を得ようとしている時代だった。
そんな時代に有って 改造申請をすれば何とかなるということがわかると
仲間内から 改造申請にトライして その難関をくぐるやつが現れた。
それからは 水を得た魚! 改造しては 道路運送車輌法に照らし合わせて
次々と申請を出して 合法的に改造を行う。
いつごろか 我々は自らを 4級整備士軍団と名乗った。
これは 国の定める整備士が3級までなので
ならば我々はそれに次ぐ者だ と言う自信から来ていた。
事実 現在も 我々は それなりの公認改造申請の活動を進めていて
数多くの公認改造申請実績を持っている。
ところが 我々の改造の効果は もはや一般公道で確認する域を超えてしまった?
いや 土台 公道でそんなものが確認できるものではなかったのだ。
我々の性能確認の場は 徐々に 公道から
それなりの料金を払って思う存分に走れる場所としての サーキットに移っていった。
そして ただ走るだけから 人と競争できるレースへ・・・・・ 耐久レースの世界へと・・・・
我々の興味は かわって来たのだった。
いや 耐久レースの世界に のめりこんで行ったのだ。
しかし レースの世界は 街乗りの改造しかしたことのない我々にとって
あまりにも高いハードルだった。
サーキットのレベルは高い と言うことではなくて
何かが違っていたのだ。
走っては壊れ 直しては 又走り そして 壊す。
純に耐久レースを始めたやつやが 次々 結果を出していく中で
我々は中途半端に車をいじるものだから なかなか答えが出てこない。
そんな中 チームの中から 更なるステージとして
JAFの競技に参加するものが現れた。
このことが 後々 勝つための原理を知る上で 大いなる参考となる。
2年かかった・・・ JAFでまともな結果が得られるまでに・・・・。
しかし その答えは あまりにも簡単だった。
「我々はプロじゃない だから 勝つことにこだわらない・・・。」
そうではなかった。 勝ちたかったら 勝つ事だけを考えろ!
趣味でもお楽しみでも良いから 勝つ事だけを考える。
周りのレベルが どんどん上がっていく中で
我々も勝つ事だけを考えて がむしゃらになった。
そうしたら 周囲のレベルより 少しだけ上に立てた。
その結果が・・・・・・・・・・・・・・・・・